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高松塚古墳の石室解体現場で作業の指示をする左野勝司さん=2007年4月4日、奈良県明日香村平田、筒井次郎撮影
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 高松塚古墳の石室の解体や、藤ノ木古墳の石棺の開封などを手がけた石工の左野勝司(さの・かつじ)さんが7月29日、膵(すい)がんで亡くなった。81歳。葬儀は近親者で営んだ。

 和歌山県生まれ。中学を卒業して石工になり、石造文化財の修理などに携わった。

 1988年に奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の家形石棺のふたを持ち上げる作業に成功。2006年からは、「飛鳥美人」などの国宝極彩色壁画で知られる同県明日香村の高松塚古墳の壁画を石室ごと取り外し、古墳の外で修理する事業に尽力した。

 カンボジアのアンコール遺跡群やチリのイースター島にあるモアイ像の修復などにも携わり、07年に吉川英治文化賞と文化庁長官表彰を受けた。

利害抜きの人「彼がいなければ」

 長年、国内外の石造文化財の保存修復に尽力し、文化庁長官表彰を受けた奈良市の石工、左野勝司さんが亡くなった。2009年に刊行した自伝のタイトルは「石ひとすじ」(学生社刊)。まさにその通りの人生だった。

 和歌山県生まれ。中学卒業後、石工だった父の下で修業を積んだ。1965年に奈良市で石材店を開業。石造文化財の修理を手がけるようになった。

 一躍脚光を浴びたのが88年。奈良県斑鳩町・藤ノ木古墳の発掘調査だった。

 未盗掘だった家形石棺のふた(約2トン)を、狭い石室の中で持ち上げる必要が生じていた。奈良県立橿原考古学研究所の所員として調査を担当していた前園実知雄・奈良芸術短大特任教授は「すぐ、旧知の左野さんに相談した」と振り返る。

 実物大の模型を使うという大…

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